名前:スマイレージ (Smileage!)※読み方について後述
由来は、Smile(微笑)とMileage(走行距離)の造語。
生まれ:雑誌初登場1958年(先代1956年登場)
公式沿革では、1962年登場。
所属:ヨコハマタイヤ スマイルショップ(広告1963年~)
先代は米B.F.Goodrich社でトラック・バス用の販促広告として使われていた。
棲息地:日本全国各地(地方部に多め、絶滅危惧種)
性別:不明
特徴:タイヤ側面に"YOKOHAMA"の文字、トレッド部の波線のバイアスパターンには光が照らされ、ポーズは体全体を斜に構えている。最大の衝撃的特徴であるホイール部からは横目でこれでもかというほどの営業スマイルを浮かべ、信号待ちのドライバーへ視線を浴びせる。何か弱みを握っているかのようなその表情は、子どもたちから恐れられていた。
そんな幼少期を過ごし、すっかり大人になったとある日に、道中突然出会うのである。そして変わり果てたこの人面タイヤに何ともいえない郷愁を感じてしまうのである。
ではなぜ、この強烈なキャラクターが誕生したのか。
1997年に発行された、横浜ゴム社内報記念特別号「心と技術をこめて 80周年記念We特別号」の文中において、スマイルショップを全国に誕生させた、ある極秘?計画が記されている。
時は高度経済成長期真っ只中の1960年。数年後には東京オリンピック開催を控え、高速道路建設が活発になり、自動車メーカーは相次いで新車を発売し、乗用車の個人保有も急増した。
当時のタイヤ販売というと、多くが代理店を通じて運送屋やタクシー会社などに販売する形態をとっており、個人ユーザー向けにはタイヤ専業店が細々と営業を手がける程度だった。これからの個人ユーザー需要に対応するためには、従来の販路開拓では自社タイヤの普及が難しい。
そこで、「スマイル計画」が持ち上がる・・・
「スマイル計画」とは、ガソリンスタンドやディーラー、自動車整備工場に流通を拡げ、販売方法をマニュアル化し、販売員を教育する。その小売店を「スマイルショップ」に指定して販路拡大を目指す戦略のことである。もちろん例の看板も取り付けていった。当時、この業界では過去にないマーケティング方法だったという。
次第にライバルメーカーも販路拡大を目指して、熾烈な販売競争が繰り広げられるが、ヨコハマタイヤには他社と差別化を図るさらなる戦略があった。
そう、スマイレージである。
当文献上では、
“ここで威力を発揮したのが「スマイルマーク」だ。一目でそれと分かる
強烈なキャラクターで、今でも年配のユーザーには馴染みが深い。”
と記されており、社内でも相当印象の強いキャラであったことをうかがわせている。
こうして、小売店は7000店(計画スタート時)から1960年代後半には3万5000店にまで増加した。
▼公式にスマイレージが紹介されている沿革ページ一覧
・横浜ゴム(日本) > 会社情報 > 沿革
http://www.y-yokohama.com/profile/history/
・(英訳版)THE YOKOHAMA RUBBER CO., LTD. > Corporate Information > Company History
http://www.y-yokohama.com/global/profile/history/
以下のページは全て同じ英文。若干詳しい。 ・Yokohama India Private Limited > About YOKOHAMA > History
https://www.yokohama-india.com/page/history
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意訳: 「スマイレージ」は1962年に始まった。 「スマイル」と「マイレージ」の組み合わせである。 米国では人気があるニコニコした顔の看板を使ったことによって、車の所有が着実に上がった。それと同じように、日本ではヨコハマのために前向きなブランドイメージを築いたのである。 |
その後、B.F.グッドリッチ社は米国内の自動車タイヤ需要が頭打ちになっていることを受け、主力事業の移行を始める。その資金調達をするため、1981年5月12日にB.F.グッドリッチ社が保有する横浜ゴム株を横浜ゴムがほぼ全て買い取ることを基本合意している。これをもって事実上、資本関係の解消となった。
横浜ゴムは、すでに3年前の1978年には社名ロゴが変更となり、スマイレージは広告から姿を消していた。
1983年に現在まで使われているロゴ(パフォーマンスマーク)が登場している。
グッドリッチ社は更に1986年、ユニロイヤルタイヤとの合弁企業ユニロイヤル・グッドリッチ・タイヤにタイヤ事業部門を統合して分離、1988年に同株式50%持ち分も売却、航空機用タイヤ部門もミシュラン社に売却してタイヤ市場から完全撤退した。
※ちなみに公式名称は「スマイレージ」である。(上記沿革ページと公式資料で確認)。ネット上で散見されるスマイレッジは、何者かによって広められたニセ名称である。
あと、戦前(1945年以前)に登場した資料も発見されていないので、噂には注意されたし。
▼公式facebookページでの紹介(2014年) |
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今日は天気がいいのでオフィス近くの芝公園に来ています^ ^
— 横浜ゴム株式会社 (@YokohamaRubber) 2016年6月17日
今週もあと少しです。頑張りましょう! pic.twitter.com/TUOq3j7PdA
1917年10月 - (大6) |
横濱電線製造(現古河電気工業)とB・F・グッドリッチ社の合弁会社・横濱護謨製造株式會社(横濱電線製造内、横浜市裏高島町2-6-2)設立、新会社の株式所有はそれぞれ五割ずつ。 |
1917年 - (大6) |
12月1日、営業開始。横浜市平沼町工場用地8,261坪70を買収。 同3日付けの新聞では、ひし形の中にY字とする商標(旧社章)を発表している。そして、グッドリッチ社の東京・大阪・小倉の各支店の営業を継承、東京・大阪販売店、小倉出張所となる。 |
1918年9月 - (大7) |
東京販売店舗移転(京橋区南伝馬町)。 |
1919年 - (大8) |
4月、本社を工場用地に移転(横浜市平沼町3、4丁目34番地)。 6月、名古屋出張所設置。 |
1920年 - (大9) |
3月、小倉出張所移転(魚町43番地)。 4月、横濱電線製造、古河鉱業会社日光精銅所、同本所工場が合併し、古河電気工業設立。 10月、横浜販売店新設、名古屋出張所が傘下へ。小倉出張所を販売店へ昇格。 |
1921年 - (大10) |
7月、熊本出張所(小倉販売店所属)新設。東京・大阪を支店に改称。 9月、横浜販売店廃止、名古屋出張所を販売店へ昇格。 10月、大阪支店移転(北区堂島浜通り2-45古河ビル)。 12月、札幌出張所新設(東京支店所属)、Yひし形マーク(旧社章)を商標登録。 |
1922年8月 - (大11) |
熊本出張所廃止。 |
1923年 - (大12) |
1月、京城に出張員配置。 9月、関東大震災によって損害を被る。台湾、朝鮮の出張所廃止。 |
1924年2月 - (大13) |
本社移転(麹町区八重洲町1丁目1番地)。 |
1925年3月 - (大14) |
平沼町旧工場跡地の一部を鉄道省へ売却。 |
1928年2月 - (昭3) |
横浜・平安町の土地を京浜電鉄より買収、工場建設。 |
1929年 - (昭4) |
4月、本社所在地名変更(麹町区丸の内2丁目6番地)。 6月、名古屋販売店移転(西区御幸本町5丁目12番地)。 10月、小倉販売店移転(福岡市上西町12番地)、福岡販売店と改称。 |
1930年8月 - (昭5) |
朝鮮出張所設置(京城府南大門通り2丁目133番地)。 |
1932年11月 - (昭7) |
横浜工場隣接地1,370坪購入。 |
1933年1月 - (昭8) |
東京販売店移転(東京市芝区田村町5丁目7番地)。 |
1934年 - (昭9) |
3月、広島に出張員、ハルビン、新京に出張所設置。 11月、広島・仙台を出張所に昇格。 |
1935年 - (昭10) |
工場拡張用地として隣接地8,486坪購入。 |
1936年8月 - (昭11) |
新潟・京都・岡山に出張所設置。 |
1937年4月 - (昭12) |
タイヤの商標「グッドリッチ」を「ヨコハマ」に改称。工業用品全て新商標へ。 |
1938年 - (昭13) |
7月、新潟・京都・岡山の出張所廃止。 8月、門司・新京・ハルビン出張所廃止。12月、本社移転(横浜市鶴見区平安町2丁目131番地)。 |
1939年 - (昭14) |
4月、北京に駐在員設置。 11月、奉天販売店移転(大和区千代田通り)。 12月、北京を出張所昇格、北京東城東堂子胡同26号に店舗設置。奉天に東洋護謨製造株式會社を設立、奉天支店と大連出張所を同社に吸収。 |
1940年 - (昭15) |
5月、工場隣接地12,108坪購入。 8月、朝鮮出張所移転(京城府南大門2丁目133番地)。 |
1944年12月 - (昭19) |
フィリピン工場設立、広島販売店廃止。 |
1945年 - (昭20) |
名古屋・横浜・三重工場、福岡支店焼失。以降再建。 |
1946年 - (昭21) |
4月、藤沢工場内に技術研究所設置。 5月、高崎工場操業開始。 |
1949年 - (昭24) |
7月、広島支店設置(広島市新市町316番地)。 8月、仙台支店設置(仙台市南町通17番地)。 |
1951年 - (昭26) |
1月、平塚支社設立。 2月、技術研究所を平塚工場へ移転。 5月、仙台支店の新店舗竣工(仙台市勾当台通12)。 6月、福岡支店の新店舗竣工(福岡市中住町27)。芝田村町5-9の土地建物購入。 9月、平塚支社を平塚工場と改称。 |
1952年 - (昭27) |
6月、本社を隣接地(芝田村町5-9)移転。 12月、東京支店を移転(芝田村町5-8)。名古屋支店を新店舗に移転(昭和区東郊通り7-12)。 |
1953年7月 - (昭27) |
高崎工場廃止、平塚工場へ移転。 |
1955年 - (昭29) |
札幌支店新店舗竣工(札幌市南二条西7-10)。 |
1959年 - (昭34) |
5月、本社社屋建築のため、本社事務所移転(千代田区大手町1-4大手町ビルヂング)。 7月、川崎工場操業開始。 |
1961年 -
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1月、本社の浜ゴムビルヂングが完成。 |
(昭36) | スマイル計画を策定、「スマイル・ショップ」の開拓を開始(月日不明) |
1962年 - (昭36) |
スマイレージ登場。 |
1963年10月 - (昭38) |
横浜ゴム株式会社に社名変更。 |
1964年11月 - (昭39) |
新城工場開所。 |
1965年11月 - (昭40) |
川崎工場閉鎖。 |
1967年8月 - (昭42) |
乗用車用ラジアルタイヤ「G.T.スペシャル」発売。 |
1972年11月 - (昭47) |
茨城工場建設開始。 |
1974年10月 - (昭49) |
尾道工場操業開始。 |
1983年 - (昭58) |
現在のロゴである、パフォーマンスマーク使用開始。 |
出典:
・「横濱護謨製造株式会社四十年史」(1959)横濱護謨製造株式会社四十年史編纂委員会
・「50年の歩み」(1969)横浜ゴム株式会社
・「心と技術をこめて 80周年記念We特別号」(1997)横浜ゴム株式会社